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Diary形式のKuriの気楽な・気楽な随筆集です。
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恐怖のお酒シリーズ  そのB 2001/05/24(木) 晴れ

 昨年の秋、会社のM氏と台湾、中国へ行ったときのことである。
台湾での仕事も終盤にさしかかり、台湾最後の夜となった。
大量の特売品の契約が済み、ふたりとも仕事の充実感に浸っていた。
現地メーカーの社長が軽い食事をご馳走されることとなった。
レストランへ行き、紹興酒を飲みながら、台湾料理に舌鼓を打っていた。

そこで、ビールでの台湾式乾杯が始まった。なんとか皆と波長を合わせることが出来た。
それが終わると、その社長氏がウイスキーで乾杯始めると言い出した。
後でわかったことだが、その社長氏は業界きっての酒豪だったそうな!
仕方が無いと諦めた、安い商品を提供して下さったんだからと、断る事も出来なかった。
そこで、M氏にあとは任せることにした。M氏は私の数倍は酒がイケル。
実はその夜、台北にて私は人と会う約束をしてたのだ。
海外で使えるケイタイをレンタルして持って行き、連絡を取り合ってた。
約束の相手が男か女かはこの際不問にしよう。
酔ったふりして水割りを舐めていた。

テーブルにはジョニーウォーカーのボトルが2本転がっていた。
その社長氏はケロッとしてたが、M氏のことは見るに忍びなかった。
高速を一路台北に向けて走りだす、時計は夜の11時をまわってる。
途中2度ほど、高速道路の路肩に車を停めて貰い介抱した。
ホテルに12時過ぎ到着した。M氏はボーイに部屋まで連れてって貰い、チェックインの
準備を始めたが、M氏のパスポートが見あたらない。
服のポケットとバッグを探して、やっとのおもいで無事チェックイン出来た。
M氏はそのまま部屋に閉じ込めて、台北の夜の街へと出かけた。
台北の夜のネオンが官能的な光を放ってた。

翌日早朝に、台北空港から香港行きの飛行機に乗った。あっという間に香港に着いた。
ふたりとも機内食も取らず眠りこけてた。M氏はもう死んでる状態だった。
バスで中国広東省東莞市へと向かった。その夜カラオケへと繰り出した。
そこでも、赤ワインを炭酸で割り乾杯の連続だった。今夜はM氏に代わり私が対応した。
M氏はまだ死んでたのだ。

翌晩からは復活したM氏が仕切っている光景があった。昨日来の事が嘘のように・・・・・。
M氏との間では台湾でのあの数時間の出来事は、未だかってお互い口にした事は無い。


恐怖のお酒シリーズ  そのA 2001/05/21(月) 降ったりやんだり

お酒の飲み方も人それぞれである。
昼過ぎから先は水分を余り摂取せず、夕方まで我慢し我が家に帰宅後おいしく一気に晩酌する人。
みんなと一緒に喋り、ご馳走食べながら飲まなければ、美味しく飲めないひと。
クラブ&スナックで飲まなければ、楽しく酔えないひと。
居酒屋でもあまりツマミを摂らず、お酒の味を堪能しているひと。
ある友人は刺身一皿を酒の肴に、延々と酒を飲んでいる、2時間経ってもまだ刺身が皿の上に
1〜2切れ残っている。
要するにホントの酒呑は、空きっ腹の五臓六腑に染み渡るあの醍醐味がたまらなく良いらしい。

先日本社出張の折、お腹の具合が悪かったので朝食も摂らず出かけた。途中空港で食べようと
思ったが、そのまま出発した。昼食も時間の調整がつかずそのまま抜き。
3時ごろジュースを飲んだだけだった。
会議も終わりホテルへ帰る時間となったが、友人の奥様が居酒屋を新規開店したと言う。
お祝いに早速繰り出すこととなった。こじんまりとした感じの良いお店である。
早速ビールをジョッキで飲み始めた。久しぶりに話しに華が咲いた。

丁度2杯くらい飲んだところで、急に体の力が抜けてきて気分が悪くなった。
トイレに駆け込んだ、何気ない素振りをしてカウンターに戻ってきた。また気分が悪くなってきた。
再びトイレに駆け込もうとしたが、脚が縺れてドアの前で転んでしまった。
脚に力が入らず体の自由が利かなくなったのだ。そこにうずくまってしまった。
初めてのことだった、長年酒飲んでても飲みすぎたら眠くはなるが、こんな症状になったことは
未だかってない。奥様にバツの悪い思いをしながらその友人にホテルまで送ってもらった。

それ以来、空腹での飲酒は控えた。せめてグラスでビール一杯まで・・・・・。


恐怖のお酒   (「与論憲法」 ・宮古島の「お通り」 ・そして石垣島) 2001/05/20(日) 晴れたり曇ったり

先日、沖縄のお酒「泡盛」の話題がでた。お酒には色々な飲み方がある。
以前仕事で頻繁に南の島に行く機会が多かった。南の島と言っても日本の南の島だ。
鹿児島空港からプロペラ機で1時間半くらいで、隆起珊瑚礁で出来た平坦な島、与論島に着く。
そこには、「与論憲法」なるものがある。憲法ではなく、与論島に初めて来た人を歓迎する為の
お酒での接待方法だ。黒田節の杯にも近い大きな器で何杯も焼酎を勧められる。
おまけに(生)、薄めてない25度〜30度くらいの焼酎だ。
私はお椀で半分だけ戴いて丁重にお断りした。ひところ観光のメッカだっただけに皆大変な
思いをしたそうな。

そして、沖縄空港からジェットで45分で宮古島に着く。今では春のオリックスのキャンプ地
として知られている。
商談が終わりその夜数人で食事に行った。ここでは泡盛だ。泡盛はロックがいい。
水割りにしてひと回り小さなグラスで、飲み回すこととなった。
グラスが小さい為に、グイグイ呑み干した。
5名で呑み始め、順番に各一人ひとりが親となりひとり一人が飲み乾す度に次の人に注いで廻る。
親になったら呑み始めと呑み終わりに一杯ずつ呑まなきゃならない。
全員一巡りしたら、6杯呑んでることになる。
不幸なことに角周りというものもある、テーブルの角の人まで来たら今度は逆に廻る、角近くの人は
また呑むはめになる。

それが、延々幾巡りもするからたまったもんじゃない。誰かが酔いつぶれる迄続く。
これが、宮古島でのお酒で歓迎の儀式「お通り」(オトーリ)。
ひとりずつグラスが通っていくから「お通り」なのかは定かでない。
出張の度に要領が分かってきた。少ない人数では「お通り」には参加しないことにした。
そして、なるべく時間をかけて飲乾す、呑む前にいろいろ講釈をしてなるべく呑む間隔を長びかせた。

早く石垣島に渡りたかった。石垣島にはそんな習慣は無い。石垣に着いたらホッとした。
南国の明るく眩しい輝きの中で素敵な日々を過ごした。
夜は行きつけのスナックでブランディーを舌で転がしてた。
宮古島の疲れを石垣島で癒した。

「泡盛」は美味しい。みんなでガブ呑みするもよし、居酒屋でチビチビ呑むもよし。
ちなみに私は、日本酒ダメ、焼酎ダメ、ビールとウイスキーのみだ。
鹿児島に住んでて「焼酎」呑めないとは・・・・と、いつもヒンシュクをかっている。




ちょっと ”気楽なずいひつ”をアップ! 2001/05/20(日) 晴れたり曇ったり

日記とは違って日頃のちょっとしたことを気楽な随筆もどきに紹介したいと思います。
「随筆」と言う大袈裟なものではありませんが、感じたことなどを書いてみることにしました。






Colorful Diary Falcon World